出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西周初年 - 春秋時代中期
国姓 姫姓畢氏
爵位
国都
分封者 周の武王
始祖 畢公高
滅亡原因 西戎により滅亡
周朝諸侯国一覧
テンプレートを表示

(ひつ)は、西周春秋時代の小諸侯国。国君は姫姓畢氏。

建国[編集]

文王の十五男の畢公高武王によって畢(現在の陝西省咸陽市渭城区西安市長安区の一帯)に封じられた。畢公高で畢の始祖である。畢公高の長男の楷伯はに封じられたため、次男の畢仲中国語版が畢を継承した[1][2]

滅亡[編集]

建国から四百年後、畢は西戎により滅亡した。しかし、平王ともに東の洛邑に遷った畢は戦国時代まで命脈を保った可能性もある[3]

滅亡後[編集]

畢公高の後裔の畢万は亡国後、に趣き、献公により大夫となった。畢万は献公につき従い出征し、軍功が卓著であったため、魏に封じられ、魏氏を名乗った。文侯の代にの三国で晋を分割し(三家分晋)、周王の冊封を受け、戦国七雄の一国となった。

歴代君主[編集]

脚注[編集]